廣井勇は土木技術者であり、近代日本の揺籃期に土木界を牽引した先駆者である。小樽港をはじめ、港湾、橋梁、ダムなど、彼の事業は全国各地に残され、今なおその輝きは失せていない。しかし、彼の最大業績はこれら建造物を世に残したこと以上に、札幌農学校および東京帝国大学の教授として、優れた門弟たちを世に送り出したことである。1899年9月、廣井は東京帝大工科大学(現在の東大工学部)から教授として招聘された。学生には常に「工学者たるものは、自分の真の実力をもって、文明の基礎付けに努力しておればいい」と言って、学閥におもねる立身出世主義をたしなめた。
授業は常に真剣勝負である。一人でも遅刻者があると、廣井は怒りで顔を真っ赤にして、その日の講義はほとんど聞き取れないものになったという。廣井から直接指導を受けた教え子から、廣井山脈と呼ばれる人材が育っていった。小樽堤防を完成させた伊藤長一郎、パナマ運河構築に参画した青山士、台湾の烏山頭ダム建設に当たった八田與一、鴨緑江に水豊ダムを完成した久保田豊など実に多くの傑出した人材が育っていった。まさに東京帝大土木工学科の一大黄金時代を築いたのである。
(古川勝三氏提供)