廣井勇は、幕末の1862年9月2日、土佐藩(現在の高知県)の佐川村内原(現在の佐川町上郷)に生まれた。父の喜十郎は土佐藩の筆頭家老深尾家に仕える藩士で主に土佐藩のお納戸役に付いていた。妻の寅子との間には姉の春子と長男の数馬がいた。廣井家は代々、藩を代表する儒学者の家系で、数馬は物心ついた頃から、祖父や父について漢書の素読や習字を学び、また武士の子として武芸で鍛えられた。
徳川幕府の崩壊、それは武士の時代の終わりを意味した。彼らは禄(給与)を止められ、一気に没落。廣井家では、それに追い打ちをかけるかのように、明治3(1870)年、父が37歳の若さで他界した。家には、祖母と母、二人の子供が取り残された。長男であった数馬は9歳の若さで廣井家の跡取りとなったのである。家族は高知に移り、知人宅の離れを借り、そこで赤貧の生活が始まった。
名を勇に変えたのはこの頃のことである。
(古川勝三氏提供)