近代土木の礎を築いた廣井勇は、文久2(1862)年に土佐藩佐川村に生まれ、時代が江戸から明治へと移り、世の中が大きく変革していく中、人一倍の努力により日本を代表する土木技術者となり、その豊かな才能を持って日本の近代化に貢献しました。
廣井勇の功績のひとつは、札幌農学校を卒業後、自費でアメリカに留学し働きながら橋梁、鉄道工学を学び、弱冠27歳で英文の橋梁専門書を発行し、アメリカで高い評価を得て活用されたことです。もう一つの功績に、北海道小樽港建設に責任者として従事し、その時に設計し造られた日本初のコンクリート製防波堤は、完成から100年以上たった今でも、日本海の荒波から小樽港を守っていることです。
数多い功績の中で、何と言っても特筆すべきは、「廣井山脈」とも言われ、キラ星のごとく活躍した弟子の多さです。東京帝国大学の教授時代、台湾南部を穀倉地帯に変えたダム建設で有名な八田與一をはじめ青山士、久保田豊、宮本武之輔、増田淳、堀見末子等々、廣井勇の生き方に憧れ、教えを吸収した優秀な門下生は、橋梁、河川、ダム、水道、都市計画などの分野で活躍し、日本の近代化に大きく貢献したのです。